卒業研究発表会に行ってきました♪

「障害は個性?」

昨年秋、麻生福祉専門学校の社会福祉科で講演をしました。その時のご縁で、卒業研究発表会に招待されました。「障害は個性?」というテーマで発表があり、大変おもしろくこの子たちが日本を支える希望の宝だとうれしく思いました。

発表の内容

昔は「障害=不幸、不便」といった障害をマイナスのイメージで語られることが多かったですが、最近では乙武洋匡さんの『五体不満足』に代表されるような、障害もその人の個性として肯定・尊重しようという考え方が広まっています。これを「障害個性論」と呼びます。

障害個性論はとてもよい考え方に見えるのですが、問題もあります。当事者自身がポジティブな価値観で個性と語る場合はよいのですが、近年は「障害は個性なのだから、あるがままに受け入れるべきだ。障害に対する特別な配慮は不要であろう。」という、障害者福祉の理念自体を否定する形で利用される場合が出てきているのです。また、障害を抱えて苦しんでいる最中にある人に「障害=個性」と周りの人が言うことは、ご本人にとって苦痛になることもあると思います。だから、「障害=個性」とは一概に言えないと思います。

障害を個人の身体上の問題と捉える「医学モデル」から社会の環境も含めて捉える「社会モデル」への世界的な変化があります。例えば、エレベーター(車いす)や音声アナウンス(聴覚障害)、周囲の人のサポートがあれば、障害を持った状態であっても社会に出てふつうに生活することができます。つまり、私たち健常者・社会の側の考え方や行動が変われば、障害のある人たちがより快適に生活できるということです。軽度の人は障害と呼ぶ必要さえないかもしれません。まずは、私たちが障害について知ること、理解することが必要です。そのために共生社会、インクルーシブ教育を目指すことを提案します。

(教育評論家の尾木直樹さんがオランダの小学校を取材された番組のVTRを流して)オランダでは授業と授業の合間に生徒全員が輪になって、家であった出来事などをおしゃべりする時間を設けています。これは疑似的な家族をつくって互いの信頼関係を深める効果があります。その時間にある女の子が先生の膝に抱っこされていましたが、周りの子どもたちや親は不公平だとは言いません。なぜならその子はきっと何か悲しいことがあって先生の膝を必要としているのだろう、とその子を思いやる心が自然と育っているからです。こういうクラスであれば、障害がある子も入っていけます。周りの子どもたちが教師の指示ではなく、自分で考えてできるサポートをしてくれます。

教育と福祉に着目し欧米がおこなっているインクルーシブ教育と日本の教育の違い。また人権教育に対する疑問など、共生社会に向かうには、障害者とのふれあいの中で感じ方は自由だけども「社会には自分と異なる人がいる、そしてそれは当たり前のことである」ということが大事であり、それをつくる環境は教育である。障がいは個性かというとこから共生社会にという発表でした。

海外と日本の教育

インクルーシブ教育について、海外と日本の教育の大きな違いをあげていました。平等に対する考え方について質疑応答がありました。最後に意見を求められ短い時間の中で平等について話をしました。

上の絵を見てください。日本と欧米の「平等」の考え方のちがいをわかりやすく表現しています。背の高さがちがう3人の人が野球を観戦しています。高い塀があるせいで背の低い子どもたちは試合が見れません。そこで踏み台を3つ用意しました。日本ではひとりに1つずつ分配することを「平等」だと考えます(左の絵)。一方、欧米では背が中くらいの子に1つ、背の低い子に2つ与えて3人とも試合が見られる状態にすることを「平等」だと考えます(右の絵)。教育現場でも同様のちがいがあるようです。

日本では、先生が生徒に対して同じサービス(授業・教育・指導)を提供するのが平等だと考えています。みんな同一の理解のレベルに達することを目標に授業が進んでいきます。それに追いつかない人は、自分なりに予習復習したり塾へ行ったりして努力しているでしょう。

欧米では、一人一人の理解が違うことが前提なので、同じレベルに達するのが目標ではないのです。先生も含めてみんなで学び、友達同士で学び合ったり、自主しながらさらに理解を深める人もいます。

ここで欧米のようなインクルーシブ教育だと、学校の授業が進んでいかないのではと疑問を持つ方もいると思いますが、日本と欧米の評価のされ方が違うのです。

日本ではテストによる成績で評価され授業も暗記型に偏っていますが、欧米でももちろんテストはあると思いますが、思考力や理解力・表現力といった自分の意思を伝えることで評価されます。この違いは大きいですね。

私が学生の時もそうでしたが、学生のみなさんはもっと過酷な学校生活を送っているのではないでしょうか。特に受験の時は必死に暗記したり難しい公式を解いたりして頑張ってきたでしょう。それが社会にでて役立つことはないとは言いませんが、役にたっているか専業主婦の私にはわかりません。日本は、学歴社会なので少しでも成績をあげていい大学、いい会社に入って将来安泰を願っている親や先生、社会全体がそんな感じですね。

そして、授業についていけない子ども達、障がいのある子・昔は同じ教室にいたであろう発達障がいの子たちが、教室から排除されている・・では言葉が悪いですね。分けられると言ったほうがいいのかな。そういう現状にあります。そういうちょっと違う子がいなくなっている教室で、健常の子どもたちは生きづらさを感じていないかとても心配になります。

うちの子は知的に障がいがあるので、同じ授業を受けてもついてはいけないでしょう。地域の通常のクラスを希望していますが、先生方は「本人がとてもつらいでしょう」と口をそろえて言います。私は、授業がわからなくても大丈夫!授業の内容よりももっと大事なことがある。それは、人とのコミュニケーションや障がい者が苦手とする人との距離感、人にはっきり言える態度、助け合う関係、美味しいであろうみんなで食べる給食を体験して学んできてほしいということです。そして、お互いを理解し仲間として受け入れてほしいのです。それを学ぶには地域の小中学校がベストだと思っています。

日本の公立小学校にインクルーシブ教育をおこなっている学校が大阪にあります。映画「みんなの学校」で話題になりました。同じ教室に障がいのある子が一緒に授業をうけています。学力も大阪トップクラスです。お手本になるよい学校です。

「社会には自分と異なる人がいる、そしてそれは当たり前のことである」だから共に生きなければならないという考えのもと、困難なく生きて行ければ、親として幸せなことはありません。

みなさんが導き出した共生社会へ

去年から障害者差別解消法ができて、共生社会へ舵をとりました。教育でも、障がいのある子が健常の子と共に学べるように合理的配慮をして同じクラスの一員として学校生活を送ることがさらに身近になりました(通常の学級・支援級・支援学校の選択は親と本人の希望が尊重されるようになりました)。合理的配慮は障がいがあるなしに関係なく、一人一人のニーズに合わせて話し合いのもと配慮がなされます。この1年で良い方向に変わってきているように思いますが、まだまだ浸透しておらず、日本教育の学歴偏重が変わらなければ、欧米のようなインクルーシブ教育を実現するのは難しいと思います。だからこそみなさんのような意識をもった人が少しずつ増えていくことを願っています。

これから福祉の世界に旅立とうとするみなさんにエールを送りたいと思います。そして、障害は個性か?というテーマを通して障がい者のことを深く考えてくれたみなさん・発表してくださった立石さん、今林さん、土井さんに感謝します。

知れば知るほど障がいは個性とは一概には言えませんね。障がい者に寄り添い深く考えられた結果だと思います。改めて私も考えることができました。ありがとうございました。みなさんのご活躍を心よりご期待しています。

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