ふくせき制度の体験記

今年、福岡市内の特別支援学校に入学されたお子さんをお持ちのお母さんに、ふくせき制度を利用されての手記を寄せていただきました。

インクルーシブ教育の広がりを願って

私たちのこどもは、障害を持って生まれてきて、他の人の手助けを必要とします。親として、社会に助けを求める事は当たり前ですが、ふと考えるのです。

社会がどう変われば、障害を持つ人が特別ではなく、一つの個性になって社会に溶け込むようになるか。目の悪い人がメガネをかけるのが当たり前のように。

今はまだレゴブロックの平面から一つだけささってる出っ張りのように特別な存在に思います。

障害を持つ人も手のかかる老人も、まとめて一箇所に閉じ込めるべきではないと思います。まとめたほうがその人達の為になると考えるのは、どうでしょうか?面倒だから、目の届かないところにおしやり、「そこで好きにやってください。私達には関係ないことだから」と自己中心的になっていることを『その人達の為に』、なんて偽善的にすり替わってないでしょうか?

今年の春、我が子は小学校一年生になりました。中度の精神遅滞です。言葉もママしか話せません。走ることさえ危なくて手を離せません。

進路は特別支援学校です。でも、校区の小学校の入学式に参加しました。きっと長い歴史の中で初めてのふくせき制度を利用した参加者です。上にお姉ちゃんがいたから式に出ようと決めたかもしれません。私は小学校で読み聞かせのボランティアをしていて、朝読みの時間には下の子をいつも連れて行きました。こどもたちから、『来年は一年生ではいってくるんだね、何組だろうね』と声をかけられ、嬉しい反面、複雑な想いもあり、涙がでました。私と主人の中で、進路は特別支援学校に決まっていましたから。でも、入学式だけでも出席させようと思いました。

入学式、「近所に住む友達にこんな子もいるんだよ」と他の子に知らせたくて、我が子に幼友達の1人でも作りたくて、参加しました。療育を3年しっかり受けたおかげもあり、当日小学校の先生達のあたたかいフォローもあり、無事に式はすみました。

式典中、たくさんのこどもたちが式の最中に騒いだり立ったり後ろをみたり、手をふったりしても特別視はされません。「まだ1年生だから」で終わり。もし、うちの子が立ったりしたら『障害があるから』と思われるでしょう。「かわいそうな子なんだから大目にみてあげなさい」と。

みんなが娘をじろじろ見なければ、「あの子が特別支援学校の子なんだ」とわからないのになと思いました。みんなの視線がうちの子をレゴブロックの出っ張りに仕上げていました。他にも立ったり椅子に立ってる子がいるのに、まるで透明なレゴブロックです。みんなの視線がレゴブロックに色をつけているかのようでした。

それでも、出席してよかったと心から思ってます。うちの子を見かけたら『○○ちゃーん!』と声をかけてくれます。私を学校で見かけると『○○ちゃんのお母さん!○○ちゃん、いつくる?』と声をかけてくれます。とても嬉しいです。

まず、存在だけでも知ってもらってたら、今後はじろじろ見られることもないのかなと思います。こどもたちの世界では、教えなくても自然と助けの手はだされます。こどもたちはすごいですね。インクルーシブ教育が必要なのは大人だけかもしれません。6年後の卒業式が楽しみです。

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