支援学級担任の役割 神村美砂子先生1

私は健常の子と障がいのある子を「分ける」ことにとても抵抗があります。「交流」という言葉・意識にも違和感があります。そもそも違うものを一緒にするから交流なのです。親子で交流する、兄弟で交流するとは言いません。違うものとして設定するから交流する必要がある。もともとみんな一緒と考えれば、交流という言葉自体が不要のはずです。

支援学級の担任をしていると、「何の仕事をしているの?ちゃんと仕事をしているの?」誰も言いはしないけれども、そんなふうに思われているんじゃないかなと勝手に思うことがあります。(子どもに始終付き添って)「支援学級のお世話をしています」、「この子の教育をやっています」、「行事のときはこの子についています」というように動いたほうが、いかにも仕事をしているように見える、給料分働いていると見られるだろうなと。しかし、そんなふうに自分が動くことによって、子どもの間に壁をつくってしまう、自分自身が壁になってしまう。親が見ても地域の人が見ても、「ああ、あの子が支援学級の子なんだな」と、私が旗を揚げて教えているような、そんな存在になってしまう。それはしたくないなと思っています。

以前養護学校にいましたので、校区の普通学校の中に、分けへだてる囲いとしての養護学校を作りたくないと思いました。自分が支援学級という空間の中で子どもたちに一生懸命教える、愛情を注ぐよりも、クラスに行ってそこで同年代の子どものなかでもまれることのほうがずっと意義がある。何が起こるかわからない毎日のハプニングのなかで、本人も周りの子どもたちも育っていくことがとても大事だと思います。自分の浅い経験の中でもそのような場面をたくさん見てきました。自分がクラスへの支援センターになって安心してクラスの中に入れていける存在になりたいと思っています。

神村美砂子先生プロフィール

%e7%a5%9e%e6%9d%91%e5%85%88%e7%94%9f福岡市内の養護学校、小学校支援学級の担任を歴任。講演の翌年異動され、現在は城原小学校支援学級の担任。

※今回の記事は2016年2月11日に福岡市で行なわれた講演会「今こそ考えよう 共生(インクルーシブ)教育」の内容から,神村先生の許可を得て抜粋,掲載したものです。

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